PC&NET History



 パソコンを使い始めて30年超・・・ パソコンを使っていろんな事をやってきました。

 約30年前は技術者か電子・電気マニア及びゲーマーの道具でしかなくパソコンを使えると
言えば「凄いなぁ」と言われるか根が暗い変人扱いされていた。確かに一般の人がすぐに使える
道具ではなく、使いこなすのに苦労して本を読んだり色々勉強しないと思うように使えなかった。

 今じゃだれでも使える便利な道具になってきて、楽に色々出来るようになったもんです

 ここで、30年の歩みを簡単に紹介します。



1983年4月
PC−8001を触る

 入学した高校での部活を電気関係のクラブにし、部活でPC−8001を初めて使う。
これがパソコンとのファーストコンタクト。

1983年夏頃
PC−8001mk2購入

 これからはパソコンが使えないといけないと言って、PC−8001mk2を買ってもらう。
PC−8001mk2と14インチCRTモニター、外部記憶装置のデーターレコーダ合わせて
約30万円位していた。

1984年秋頃
PC−8801mk2 model30購入

 データレコーダはデータやプログラムの読み書きに時間が掛かるし、読み書きが不安定でエラー
が出るので、フロッピーディスクドライブが欲しかったのだが、高価なので買えなかった。

 そんな時に電気店にPC−8801mk2が展示されていた。
フロッピードライブが内蔵されているし、PC−8001mk2より高機能。
すぐには買ってもらえなかったが何度か必要性を説明し交渉し、学業の成績が上がれば買ってくれ
ることになり、必死に勉強した結果、見事成績アップしたので秋頃PC−8801mk2
model30を買ってもらった。
値段は23万位だった。

1985年夏
パソコン通信に挑戦

 この年の5月下旬にアマチュア無線局を開局した。
 無線仲間とデーターレコーダーのアナログ音を無線を使ってやり取りする通信実験に成功する。
ここからパソコン通信人生の始まり。

1986年6月
アマチュア無線でのパソコン通信(パケット通信)を始める

 この年のゴールデンウイーク、別の無線仲間がTNCと言う無線用のモデム装置を持って遊びに
来たので、無線機とパソコンの間に接続してみる。
 ある量のデータ毎に自動で接続先のパソコンにデータを送っているのをみて、これは何か色々
出来そうと思い、早速無線の免許をパケット通信が出来るように変更し、APX−25と言う
TNCを買ってパケット通信を始める。

1989年7月
PC−286V購入

 8001mk2から使っているCRTでは解像度が低いので20文字*20行でパケット通信す
るにも、周りの多数は40文字*25行のCRTを使っているので改行位置がずれて読み辛かった
ので、社会人2年目になり、夏のボーナスがPC関係にまわせるようになったのでCRTを高解像
度のものに買い換えようと思っていた。
 この頃になると主流は16ビット機PC−98シリーズ+MS−DOSの時代になりつつあり、
無線仲間も16ビットユーザーが増えてきた。
16ビット機になるとソフトも高機能になり便利なソフトが色々ありPC98シリーズが欲しくな
り、PC−9801VM2と高解像度CRTを買おうと思ったが予算オーバーになったので、
98VM2と同等以上の性能で評判になっていたエプソンのPC−286VとCRTを買った。

 4ヶ月後にHDDを買ったのだが、80MByteで13万円もしPC本体とあまり値段が変わ
らなかった。1MByteあたり約1600円 現在は1GByte約100円だから
この十数年で約1/16000になってしまった。

1989年10月
電話回線のパソコン通信を始める

 無線のパケット通信でチャットしているメンバーと趣向が変わってきたし、転送系RBBSで流れ
てくる情報もほぼ同じなので飽きてきたと言うか、同じ趣向の人々との交流がしたくなってきた。

 雑誌等で調べてみると同じ趣向のBBSがたくさんあったので、パソコン通信をしようと決めたの
だが家族も電話を沢山使うので自分の部屋に専用電話回線を引き、オムロンのMD−2400Fと言
うモデムを購入し、電話回線利用のパソコン通信開始

 おもしろがって日本中のBBSに繋いでいたので一ヶ月後の電話の請求書を見てビックリ!!
1万円を超えていた・・・

 接続料が有料でも近くにアクセスポイントが有る大手BBSの方が全体として安くなるので
PC−VAN(現 BIGLOBE)に入会し趣向にあった会議室にお邪魔するようになり、
本格的にパソコン通信でいろんな人と交流するようになる。

 2年後の1991年2月
ある会議室のオフ会でNifty Serve(現 @Nifty)も面白いと勧められNifty
にも入会。半年間くらいはPC−VANとNiftyと両立していたが操作性等で徐々にNifty
1つになっていった。

1995年7月
ME−2814Bを購入し28.8kbps化

 Niftyの参加しているフォーラムも多くなったり、ダウンロードするソフトやデータの数が
多くなり、2400bpsでは時間と電話代が掛かってしまい、安くなってきた28.8kbpsの
モデム オムロンのME−2814Bと言うFAXモデムを購入

1995年10月
PC−586RA1LWの中古を購入

 この頃になると時代は32ビット機 80386、80486、そしてPentium搭載機へ
変わりつつありwindowsも一般化し始めたころ。

 16ビット機の286Vで競馬の予想をしていたのだが、予想結果が出るのに大変時間が掛かって
いた。
 32ビット機が欲しかったのだが、いろんなことにお金を使っていたのでパソコンにまわせなかった
ので我慢して286Vを使っていた。

 新品で30万強していたPentium 90MHz搭載のPC−586RA1LWが中古で18万
で傷もなく状態が良かったので衝動買いしてしまった。

 さすがPentium90MHz、80286とは雲泥の差の処理能力!! 数時間掛かっていた
予想が十数分程度で完了した。

 MS−DOSからwindows3.1にして、アプリケーションソフトを終了させずに違うソフト
が使えるし、なんと言ってもGUIが良い、コマンドを入力せずにアイコンをクリックすることで起動
させることが出来るのが大変便利と感じた。

1996年2月
インターネットを始める

 95年の秋頃、パソ通のことを教えていた会社の人にインターネットはまだやってないのかと言われ
るが、この頃の国内インターネットはおもしろいコンテンツもほとんど無くサイト数自体も少なかった
ので、パソ通の方がはるかに情報が多くインターネットには興味が無かった。
年末頃から無線仲間たちがインターネットを始めwebサイトを開設しているのを見て、楽しそうと
興味が出る。

 Nif系のプロバイダのアクセスポイントが市内になく、混雑して繋がりにくいと言う話を聞いた
ので、低料金で繋がり易いプロバイダを探していると、パソ通の知人から3webを勧められ入会
1996年2月7日インターネット接続開始

1996年7月
オリジナルPC1号機を組み立てる

 春頃OSをwindows95にVersionUpするが、586と相性が悪く動作がいまいち
良くない。
メーカーに問い合わせるがドライバーに不具合があるらしく、win3.1に戻して改良版が出るのを
待っていたがなかなか出ない。半年前に衝動買いをしてしまったことを悔やんだ。

 この頃丁度PCのパーツを集めてオリジナルPCを組み立てるのが流行りだした頃で、無線仲間数人
もオリジナルPCを組み立てていたし、メーカー製PCは信頼出来ないので夏のボーナスが支給された
らオリジナルPCを作ることを決意。

 7月7日 NiftyのPC−DIYフォーラムのPC組み立て会に参加してPentium133
MHzのオリジナルPC1号機を組み立てる

1997年5月
64kbpsISDN化

 パソ通と違いインターネットでは画像・音楽等でも表現が出来るのでサイト1ページでも大きな
データ量になるので、28.8kbpsではなかなか表示されないのでイライラするようになっていた。

 プロバイダもISDNのAPを提供開始したことで、ISDN TAのNECのAtermIT55
DSUを購入し64kbpsISDN化

1997年12月
プロバイダをso−netに変更

 インターネット人口が増え、接続料が安価の3webの会員が増えAPに繋がりにくい、繋がっても
重くてなかなか表示されないことが多くなる

 FM番組の掲示板で知り合った知人のwebサイトが軽く表示が速かった。プロバイダはso−
netで接続料が3webの2倍程していたが、繋がり易いしサイトの表示も速いと言うことでso−
netにプロバイダを変更する

2000年9月
オリジナルPC2号機を組み立てる

 インターネットを最大限楽しんでいた97年夏以降チャットにドップリはまりネット平均接続時間が
150時間/月を超えていた。
 午後11時からのテレホからで就寝時間が午前4時前後に成るのが当たり前になり睡眠不足に陥り
体調がおかしく成りつつあったので、テレホ前から接続するようになり通信料が鰻登りになり
とにかくスピードより定額・常時接続環境が欲しかった。
 98年の夏にこの街にもCATVが開局され、インターネットサービスが定額・常時接続で最大下り
10Mbpsのブロードバンドなっていたのですぐに加入したかったのだが、工区が3つに分かれこの
地域は一番最後の2000年秋まで待たされることになった。

 この地域の加入予約が始まった2000年6月に早速加入予約をする。

 ブロードバンド化し動画を観たいが、Pentium133MHzじゃパワー不足。これではブロー
ドバンド化する意味がないので、PCを新しくすることにし、9月下旬 Athlon 800MHz
のオリジナルPC2号機を組み立てる

2000年11月
CATVに加入し常時接続ブロードバンド化

 新型PCを組み立て、あとはCATVに加入するのを待つだけ。
 10月中旬に加入契約し11月4日ケーブル引込み工事が完了しCATVインターネット化
この日から徐々に通常の睡眠時間が取れるになり体調も回復していった。

2003年2月
CATVが20Mbps化

 CATVに加入した頃は下り最大10Mbpsで平均3〜4Mbps近く出ていたが、加入者が増え、
スピードは落ちる一方・・・・
 2002年の後半になると平均1.5〜2Mbpsに速度的にはまだ我慢出来るが、同じ速度のAD
SLより割高に成っていることに不満で、100MbpsのFTTHに移行することを考え始めた。
 11月下旬ケーブル局から2003年2月より下り20Mbpsサービス開始のメールが来る。
500円UPで下り最大20Mbps、上り2Mbpsの新サービス。
先行予約すると5000円の工事代も無料になるということで、期待外れならFTTHにすればいいや
と言う気持ちで先行予約に申し込む。
 1月中旬に契約書が送られ契約書に署名して送り返し、2月14日20Mbps化工事が完了

 スピードテストをしてみると 平均で下り12Mbps 上り1.5Mbps出た。
この結果に大変満足したが、20Mbpsのユーザーが多くなっていくにつれて落ちだし、現在では
平均下り8Mbps 上り 900kbps位に成っているが、接続料金が7月から値下げされAD
SLと変わらなくなり今のところインターネットを楽しむのに問題はない。

2006年9月
オリジナルPC3号機を組み立てる

 前回2号機を組み立てたのが6年前、2,3年経ったら次を作ろうと考えていたが
足らない部分はパーツの入れ替えで補ってきたし、次々と新しいパーツが出るので
作るタイミングを見ていたら6年が過ぎようとしていた。

 ネットの方も高速ブロードバンド化が進み高解像度の動画コンテンツも増えてきて
それを見ようとするとCPUのパワー不足で度々止まりスムーズに見れないし
デジカメの画素数も上がり、写真の編集をしようとするとこれもCPUのパワー不足で
処理に時間が掛かり、効率が悪いので新PCを組み手立てることに。

 インテルが省電力デュアルコアCPUのCore2Duoを発売したのをきっかけに
2006年9月 Core2Duo E6600を使用し、メインメモリを2Gbyte搭載した
Windows Vistaも使える、オリジナルPC3号機を組み立てる。

2008年6月
CATVが160Mbps化

 若干動画のダウンロードに時間が掛かっていたが普通にブラウジングするのに問題はなかったのですが、
料金的に100M超の光回線と変わらないのが不満でした

 3月下旬ケーブル局から2008年6月より下り160Mbpsサービス開始のメールが来る。
1000円UPで下り最大160Mbps、上り10Mbpsの新サービス。

今回も先行予約に申し込み、6月28日に160Mbps化工事完了


スピードテストをしてみると 平均で下り124Mbps 上り4.5Mbpsと出た。
実効値と言われる最大値の80%位のスピードだが上りが45%位して出ていない。
RWIN等をチューニングして再測定してみると、5回平均で下り123Mbps、上り8.1Mbps
大きいサイズの動画も数秒でダウンロードできるようになる。



=== Radish Network Speed Testing Ver.3.2.2 - Test Report ===
使用回線:J:COM ********
公称下り速度:160000kbps 公称上り速度:10000kbps
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測定条件
 精度:高 データタイプ:圧縮効率低
下り回線
 速度:128.1Mbps (16.01MByte/sec) 測定品質:98.5
上り回線
 速度:7.945Mbps (993.1kByte/sec) 測定品質:86.6
測定者ホスト:***********.zaq.ne.jp
測定サーバー:東京-WebARENA
測定時刻:2008/9/27(Sat) 19:49
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測定サイト http://netspeed.studio-radish.com/
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2012年8月
ノートPC導入

 3号機を組み立てたのも6年前、2号機同様2,3年経ったら次を作ろうと考えていた。
性能的にあまり不満が無かったし、足らない部分は今回もパーツの入れ替えで補ってきたが、
OSのWindows XPのサポート期限が迫りつつあったので、Windows7での4号機制作を検討したが
最近はインターネット閲覧と仕事用で一太郎やエクセルを使うくらいになっていたので、
マシンパワーより省電力の方が優先で、ノートPCでも充分使えるのでASUSのK55Vを導入しメインPCとして使用


今後の計画

 NETの方は今の速度で当分困ることもないと思われるので、不満が出るまで現状維持。

 パソコンの方は現状で不満が出たら自作再開を検討するかも
2013-04-09 更新